上海 Love story|画家・山本雄三 編
上海Love Story 画家・山本雄三編
画家で本学短期大学部准教授の山本雄三(1964− )が、中国・上海を訪問し、
作品制作の取材を試みるアート・プロジェクトです。
2014年8月3日―2014年12月末日
主催=女子美術大学
協力=AI KOWADA GALLERY、上海交通大学 日中(国際)美術教育研究センター、新華社通信
「上海 Love Story」プロジェクトについて
「上海Love Story」は、女子美術大学がアートを通じて国際交流に取り組むプロジェクトです。本学が2012年12月にオープンしたJoshibi Art Galleryのある隣国、中国の上海。その街に本学教員や招待作家を短期派遣し、Joshibi Art Galleryを拠点に作品の制作や展覧会、研究などを試みる企画として、昨年から始めました。
昨年実施した第1回目のプロジェクトでは、現代作家で本学洋画コース准教授の大森悟(1969- )が、中国と日本をつなぐ東海(東シナ海)を取材して構想した作品をJoshibi Art Galleryで発表。暗がりの空間で光の海を体験させるインスタレーションが現地で大きな反響を呼びました。
「上海Love Story」の名は、女子美術大学が「ジョシビ」らしく、まず教員自らが自分の眼と足で上海を体験し、上海を好きになることから中国との交流を進めようとの趣旨で付けました。また、B級の恋愛ドラマのようなそのイメージは、現地でどのような出会いやハプニングが起きるか分からないという、このプロジェクトの予測不可能性も表現しています。「上海を」テーマにするというよりも、「上海で」考えたことを作品や研究に結びつけようとする教員らのドキュメンタリーを通して、アートや表現が立ち上がってくる現場に立ち会っていただければ幸いです。
女子美術大学
画家・山本雄三 編
キーワードは家族愛
2014年度の派遣教員に選ばれたのは、画家で女子美術大学短期大学部准教授の山本雄三(1964- )。 写実的な絵画を得意とする山本が選んだテーマは「家族」。普段、大学への出校日以外は、自宅のアトリエで過ごす彼にとって、妻と幼い娘はかけがえのない存在。その「家族愛は、世界共通」と考えた山本は、肖像画のモデルとなってくれる上海の家族探しを始めます。理想は自分と同じ核家族。「中国は一人っ子政策のため、同世代の3人家族も多い筈。」 山本は、そのように考えて上海で暮らす家族を探しながら、自分の気持ちを追い込むために、上海の家族をモデルに今年の独立美術協会展の出品作を制作することを決意します。
展覧会への作品搬入は10月中旬。本ホームページでは、山本雄三が渡航の準備を済ませ、上海の家族の家を訪問し、帰国後に作品を完成させて独立美術協会展に 出品するまでのドキュメントを一部ご紹介します。
これまでのあらすじ
渡航準備
山本は、6月25日の会議の席で、授業に支障が出ない夏休みであることを理由に、上海への渡航を8月上旬にしたい旨を伝えます。そして渡航までの一ヶ月半、彼は上海でのモデル探しに奔走します。
大学や知人の協力を得て、ようやく候補に挙ったのは、上海の総合大学に勤める画家の家族。美術系学部の講師を務めるご主人は、山本と同世代で、互いのお子さんも年齢がほぼ同じという好条件でした。しかし安心したのもつかの間、しばらくして、ご主人から妻の肖像を描くのは難しい、大変申し訳ないとの連絡が入ります。理由は、奥様が政府関係の職に就いており、安全のために人前に出られないというものでした。
山本は、肖像画にはモデルとの生きた関係が自然に表象されると考えています。その為、彼は最初にモデルとの関係を縮めるように努力し、その関係を距離に置き換えて、その深浅を正確に描写していくような意識で制作を進めてきました。
山本は教授のご家族にお会いして話だけでもしたいと考えます。「最後に、奥様の姿だけが、白い余白として残る絵になっても、それはそれで、上海で出会ったご家族の正直な肖像として、よいと思っています」———この時期、山本はそう述べています。
しかし、結局許可は得られず、この話は立ち消えとなりました。その後、モデル探しに焦る山本を心配し、芸術学部美術学科洋画専攻教授の熊谷宗一が彼の渡航に同行することとなります。そして上海への出発の直前、現地で熊谷とともにモデル探しを試みようと、あきらめていた山本に、「同じマンションに住む知り合いの中国人家族がモデルになってもよいと申し出てくれた」との連絡が入ったのは、上海でギャラリーを開設し、Joshibi Art Galleryとも懇意であった鳥本健太氏からでした。
2人が羽田空港から上海に向かったのは8月3日。しかしこの日、早朝の便で旅立つ予定であった彼らは、機体不良のために飛行機が飛ばず、空港で6時間の足止めを喰らいます。上海のホテルに着いたのは夜の9時過ぎ。さて、明日から彼らはどのような出会いを経験するのでしょうか。
北川智昭(上海Love Story企画協力/豊田市美術館学芸員)
上海滞在
お疲れ様です。滞在中は、ご家族を取材した後、彼らが大切にされているものやお気に入りの場所を訪ね、同時に上海独特の人柄や風土(町並み)を肌に感じながら、スケッチしたり、写真を撮ったりして数日過ごすつもりです。で、ある程度取材を済ませたら、画材を購入し、ギャラリーで制作の案を練ろうかと思っています。——————山本雄三
上海に降り立った山本は、飛行機の遅れでその日に予定していた中国人家族宅の訪問をやむなく中止。3日目に改めてご自宅を訪ねることとなりました。 翌2日目、山本は熊谷とJoshibi Art Galleryスタッフの長沢郁美とともに市街を歩きます。最初に向かったのは上海博物館。中国の古代から近代までの歴史と文化を自分の目で学ぼうと考えたのです。次に訪れたのは画材店。ここで山本は、現地の作家たちが使う筆、顔料、墨などを買い込みました。夕刻は、市外の製鉄工場の跡地につくられた現代アートのスポット「レッドタウン」を視察。ここで上海のアート・シーンが持つ巨大なスケールを実感します。 そして3日目。この日、山本は中国人一家との接見を果たしました。日系企業のエンジニアであるホワイトカラーの夫と、専業主婦の妻。そして男の子2人の4人家族が住むのは、市内の高級マンション。山本はここで親日派の彼らに暖かく出迎えられて、インタビューから記念写真までの取材を進めます。主役は7歳の長男。数年前に家族で来日した折りに乗車したという新幹線の絵を描いてくれたのが印象的でした。 山本たちがマンションを出たのは日暮れに近い時刻。その日の夕食の席で、彼は日本と中国の間の政治的問題は無視できないにせよ、「人として付き合えば分かり合える」と考えていたことや、「子供は心の壁をつくらない」と信じて、小学1年生の長男を話題の中心にしたと打ち明けながらも、しかし、短い時間の出会いだけでは「良い印象しか残らず」、「本当の姿は分からなかった」と素直な心情を語ります。この中国人家族との微妙な心理的な距離を、山本は帰国後に進める作品制作の中でどのように昇華させていくのでしょうか。 その後、山本は帰国するまでの2日間を、中国人家族の日常を追体験する時間にあて、市場、上海駅、本屋といった場所を視察します。また、その合間にJoshibi Art Galleryに戻り、市場でもらった蟹をモチーフに、フロッタージュの制作にも励みました。蟹を写真撮影してプリントし、出力した紙の裏側にシンナーを塗ってインクを溶かし、画用紙にあてて指でこすって転写するのが、山本流のフロッタージュです。 フロッタージュされた画像は、たとえ僅かでも、紙に手作業によるかすれや滲みの跡を残します。その手と時間の痕跡が、山本の眼には折々の記憶を呼び覚ますトリガーとなるのです。帰国後、彼はこの技法を意識しながら、家族の肖像画の制作に入ります。 (K.T)
女子美術大学 短期大学部 造形学科 美術コース 准教授
山本雄三
経歴
1964年 鳥取県生まれ
1991年 武蔵野美術大学大学院造形研究科油絵コース修了
1998年 独立展新人賞受賞
1999年 独立展奨励賞受賞
2000年 独立展独立賞受賞
2002年 昭和会展日動火災賞受賞
2009年 28回損保ジャパン美術財団選抜奨励展秀作賞受賞
2010年 第8回前田寛治大賞展大賞受賞
現在 独立美術協会会員
学位 芸術学修士